生きる伝説、テロリスト、猪木の懐刀、用心棒と呼び名はいくつかある。
日本プロレス界の関節技と言えばこの男、藤原喜明でございます。
岩手県出身でデビュー時は全日新日国際と選択肢があったが、迷わず新日本を選んだと本人が語っていた。
会場には生粋のプロレスファンが集まり、色々質問にも答えてくれた。
話しは当時の真剣勝負、今と違い本当の意味での生きるか死ぬかでやっていたと、今の真剣勝負は負けても死なない、業界を去らないゲームの範疇だと。
勿論今の業界を否定はしない、時代の流れにそって然るべき。
アリ戦の際まだ32才の猪木は30億以上の莫大な借金を抱えた話、パキスタンのペールワンとの格闘技戦での一切相手の前情報無しでの殺し合いに近い試合の話など。
勿論私など産まれる遥か昔の話ではあるが、プロレスファンならば一度は聞いた事のある伝説の話。
異種格闘技戦とは猪木が作ったジャンルである。人は必ず老いて死ぬが、死ぬまで生き様を最後の最後まで見せた猪木。
勝つ負けるよりもその生き方に人々は魅了されたはず、直系の弟子である藤原は猪木から何を教わったか、それは実にシンプルにプロレスは闘いであると、当時はやはり環境も厳しくいつ辞めるかを毎日考え、気付けば今日まで生きてこれたと言う。
半ば茶化しながらもあったが、本当に怖い時代の実力者の話しは説得力があった。
殺気の放てるレスラーはもう今では絶滅危惧種だが、生きてる内に貴重な話を聞けて良かった。
写真撮影の際一本足頭突きのリクエストをしたのだが、バカヤローと一蹴されてしまいました…流石それでこそ藤原組長‼️
僅か1分くらいでしたが仕事は何をしてるか聞かれて、建築リペアの職人ですと答えたらあぁ結構頭使うんだねと会話が成立した事が嬉しかった。
遥々こんな遠い所まで来て頂いてありがとうございました。
いつまでもお元気でそしてまたチャンスがあれば八戸に来て欲しいです。
今度はスリーパーホールドかビンタでも良いです。
私は生まれ変わったらレスラーになりたい。